久元祐子:東京芸術大学、同大学院でピアノを学ぶ。松浦豊明、植田克己、作曲家・間宮芳生の各氏に師事。ピアノリサイタルを開く他、アンサンブル、オーケストラと共演。97年、毎日21世紀賞(特選)の副賞として、毎日新聞社からの派遣により、ハワイのJAIMS研究所に留学。ホノルル交響楽団事務局に在籍しながら、比較文化論、芸術プロデュース論を修める。現在、リサイタル、レクチャー、執筆活動など、幅広い活動を続けている。CD作品に『ベートーヴェン「テレーゼ」「ワルトシュタイン」』(ALM Records, ALCD-9021)、『ショパン・リサイタル』(ALM, ALCD-9016)など 、著書に「モーツアルト・18世紀ミュージシャンの青春」(知玄社) など。2004年末に最新作『リスト:巡礼の年 第2年「イタリア」』(Bishop Records, EXAC002) を発表。
■私は、クラシックのヴァイオリニストやピアニストというと、どうしても幼少時からの英才教育というイメージがあります。久元さんがピアノを始めた切掛はどのようなものだったのでしょうか
私は3歳からクラシックのピアノを習い始めましたが、あくまで習い事としてでした。私の両親も音楽家というわけではなく、ごく一般的な家庭でしたし。ピアノの方に進もうと決心したのは中学2年生の時です。それは、ピアニストとしては大変に遅いスタートだと思います。この時には、ピアノを始めた時とは裏腹に、親には強く反対されました。それでもプロになりたいという気持ちが変わることは無く、都立芸術高校の音楽科に進み、ピアノを専攻しました。その後、私は東京芸大に進む事になるのですが、中学2年生の時からその時までの間に、私はピアニストになるための基礎階段を一気にのぼったという実感があります。
■なるほど。その後、リサイタルなどを開いていくことになるわけですね。現在、久元さんはレクチャーリサイタルを数多く行っていらっしゃいますが、それは若い頃からそうだったのでしょうか。
最初は、純粋な音楽のみによるコンサートから始めました。それこそ最初は5人、10人というお客様の前での演奏会でしたね。その頃来ていただいた聴衆の方の中には、今でも私の演奏会に来て下さる方もいらっしゃいまして、そういった方々のお蔭で今の私があると思っています。そして、回を重ねる毎に、聴きに来てくださる方が少しずつ増えていきました。モーツアルトのレクチャーリサイタルなどを始めたのは、もっと後になってからのことです。
■デビュー当初から、モーツアルトに対するこだわりがあったのでしょうか。仮にそうだとして、久元さんの新作CDはリスト作品をとりあげていらっしゃいますが、その辺りはどの様にお考えなのでしょうか。
60歳ぐらいになったら(レパートリーを)狭めていこうと思っているのですが、今はスペシャリストになるよりも、世界を拡げていきたいと思っています。モーツアルトとリストの名前が出ましたが、そのふたりの作品を比較しても、モーツアルトは成長と共に余計なものが削り取られてシンプルになっていく感じで、リストは逆に広がっていく感じですよね。そういった様々な音楽世界に対して自分なりに開いた状態でいたいのです。勿論、それはモーツアルトやリストに限った話ではなく、近現代の曲にも強い興味はあります。現代はピアノの可能性を拡げようとしている時代だと思いますし、それはとても有意義なことだと思いますし、「展覧会の絵」もとても好きな曲です。この曲は絵との関連とかいろいろなインスピレーションを与えてくれます。そういった多様な世界を受け容れられるようになる為にも、今は自分の持っているパレットの色を、可能な限り増やしたいと思っています。
■そういった表現を行なう中で、楽器へのこだわりはありますでしょうか。例えば、ビショップレコーズよりリリースした作品も、ALM よりリリースした作品も、使用楽器がベーゼンドルファーであり、こだわりを感じるのですが。
それは、私のスタジオの楽器がベーゼンドルファーだからでしょう。
■ベーゼンドルファーは良いピアノの代名詞のような言われ方をされることがありますよね。私も、ベーゼンドルファーとスタンウェイの両方があるスタジオにいた事があるので、ベーゼンドルファーがそう言われる事の理由もわかるような気がします。勿論、工業製品ではなく楽器ですから、それぞれに個性があると思いますが。
ベーゼンドルファーはウイーンの香りがします。オールマイティなピアノとは言えないと思いますし、例えば打楽器的な演奏を要求されるものの表現などには、ベーゼンドルファーは難しいと思います。切り口が丸いというか、乗りこなすのが難しい楽器ですね。家にあるベーゼンドルファーは、シュトラウスモデルという所謂オールドなんですね。100歳近いもので、10年ほど前に手に入れたのですが、例えば木が違うんですよね。レペテーションが良いとか、そういうメカニカルな面では現在のピアノの方が優れていると思うのですが、音が深いので、楽器(の響き)に助けられる事もあるほどです。そういうわけで、とても個性を持った楽器なので、べーゼンドルファーの方には、「お金があったら、これとは別に最新のピアノも買って、両方とも使ったほうが良い」なんていわれます(笑)。
■久元さんの、演奏家としてのスタンスを教えていただけますでしょうか。久元さんは、どのような演奏家でありたいとお考えですか。
個性という言葉を使いましたが、それは無理に差異を重ねることなどしなくても、勝手に出てくるものだと思っています。そして、オリジナリティとは、肉体を通して出てくるものだと思います。肉体を通して感じたものを伝えるとか、色々な意味で肉体が介在したものが演奏と呼ばれるものだと思います。演奏とは、肉体行為だと思います。譜面は確かに設計図ではありますが、やはり記号でしかありません。作曲家が伝えたいと思うものがあったとして、それを5線譜に記入しなければならないから、ああいう形になるだけだと思います。そして、作曲家が伝えたかったものなどは、その先にあるものだと思います。それを理解する為には、様々なことが手助けとなると思います。だから、私は楽譜の周辺にあるものを見たいですし、時代を知リたいと思っています。また、そういった事を素直に受け取ることが出来るためにも、なるべく無色透明でいたいのです。
■それは、巫女的な存在に近いということでしょうか。
そうですね、巫女的な存在になる事が出来れば理想ですね。私の関わっている音楽を例えるとすると、「語り」が最も近いと思います。巫女で言えば、神様との対話ということになるでしょうし、画家であれば絵との対話という事になるでしょうし、詩人であれば言葉との対話という事だと思います。しかし、語るには語るものを分かっていなければ語る事も出来ないと思います。これを音で語るのが音楽家であると思います。そして私にとっては、言葉よりも音の方が雄弁に語る事のできる道具なのです。言葉では、「楽しい」といえば「楽しい」のひとつしか表現できませんが、音を使えばもっと微妙な事を表現できます。音は音なのでそれを言葉にするのはおかしなことですが、たとえば「楽しくて少し悲しくて浮いたような」というような事を音で表現する事は出来ます。勿論、言葉の上でのそれとは違うものです。
■なるほど。では、自分の音楽はどのようなものとしてありたいと考えていますか。
私は、芸術とは現実でない世界だと思っています。日常ではない世界に、音を使って飛べるようになりたいと思います。ファンタジーの世界を見せる事ができるような演奏を目指したいですね。また、(芸術の持っている現実でない世界の)境界というものは明確にあると思います。ただし、明晰な理性を持った上で、理想の世界に飛びたいと思います。先ほど申しましたように、音楽は5線譜のことではなく、肉体の介在したものであると思いますし、楽譜や音楽の周辺にあるもののすべてが関わってくると思います。そして、10年前であれば感じられなかった事や出せなかった音が、年を重ねることで感じられたり、出せるようになってきたと自分では思っています。ですから、私は今、齢を重ねるのが非常に楽しみなのです。私の音楽に対する考えはこういったものなので、ぜひCDとは別に、生の演奏にも触れて欲しいと思います。クラシックの世界では、びっくりするほどのCDを持っていながらコンサートに足を運んだ事がないという方もいらっしゃいますが、CDはCDであって、やはり原点である生の演奏にぜひ触れて欲しいと思います。レーベルディレクターの近藤さんの前でこういう事をいうのも失礼な話ですが(笑)。
■いや、私も私が関わっている音楽に関しては、そう思っている人間です。演奏と肉体についての考えや、音楽に対する演奏家としての姿勢など、リスペクトできるお話しばかりでした。今日は有難うございました。
(2004年12月19日 渋谷タワーレコード・インストアライブ後、渋谷にて)
CD『久元祐子 / リスト:巡礼の年 第2年「イタリア」』[EXAC002]
(演奏)久元祐子(pf)
(収録)
・巡礼の年 第2年「イタリア」(リスト)
・コンソレーション(慰め)第3番 (リスト)