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Musician's Voice vol.5: interview

2005/04~05
Michel Doneda
(ミシェル・ドネダ)

『即興は自分自身を表現するための手段ではない』

■こんにちは。今回、通訳を同レーベルの谷川に依頼して、あなたにインタビューをさせていただき、日本でのあなたとあなたの音楽に対する理解に努められればと思います。なるべく詳しく教えていただければ嬉しく思います。それでは、どうぞよろしくお願いします。
 15歳の時に楽器を始められたようですが、なにか切掛があったのでしょうか。

 いいえ、特に無くたまたまです。初めてアルトサックスで音を出す以前は、音楽やサックスについては何も考えていなかったのです。ただ、今でも私が出した最初の音ははっきり覚えていて、それは私にとって何かとても特別なものでした。私の心と体、そして人生の扉が開かれたような。

■その後で、"I.R.E.A."というグループに参加なさっていますよね。このグループがどの様なものであったのかをお教えいただけますでしょうか?

 私の初期の即興においての活動はダンサーや詩人、俳優達とのものでした。1980年、トゥールーズ(フランス)でこれをIREA(即興研究会)として発足させ、小さいスペースながらもコンサートやパフォーマンス、ワークショップといったものを企画して行っていました。それはグループというよりはトゥールーズを拠点とするアーティストの集合体といった物です。

■なるほど。活動の初期から音楽以外のアーティストと関わっていた訳ですね。それは以降のあなたの音楽を形成していく重要な要素のなったのではないかと思います。
 1988年発表の『ドネダ、ラズロ、ニン / SEA DOGS』 ではテクストが用いられていますね。この作品の制作がどのように行われたかお教え願えませんでしょうか。

 我々の最初のアルバムのオリジナルLPはバンドーブル・レス・ナンシー(フランス)にあるCCAM (Centre Culturel Andre Malraux) プロデュースによるものです。そこでのコンサートを収録したものですが、我々の音楽の最も重要な部分を占める即興パートは、やはりそこの会場、聴衆、響きや状況に大きく作用されています。またその頃の'85から'87まで我々3人はある劇団と活動していました。彼らと一緒に南アメリカや東欧をたくさんツアーし,そのためのオリジナル曲や即興を演奏しました。彼らはほとんどを野外で演じていたので、その影響からかアルバムのサウンドもとてもパワフルになりました。

■それがアクターや詩人が参加していたI.R.E.A.と関係はあったのでしょうか?

 いいえ、それは全く無いです。

■1992年発表の『Michel Doneda, Dominique Regef, Le Quan Ninh / Soc』で、日本でのあなたの評価が決定づけられたように思います。私もこの作品を通してあなたを知りました。以降、グループにおける即興作品『Barre's Trio / No Pieces』、『ミシェル ドネダ / オープン ペーパー ツリー』、『Hyperion』 の4作品のクオリティの高さは目を瞠るものがあります。それぞれの作品について、どのような音楽的なアイデアをもってパフォーマンスされたのかをお聴かせ願えませんでしょうか?

 『No pieces』はバールとの最初の仕事でした。彼はその時、あるダンスカンパニーからいくつか音楽を委託され、それを録音したものです。実はその中の2曲はスタジオでのサウンドチェックのために録音したものなんです。最初の2曲がそれで、完全に即興です。それはもともとエンジニアのサウンドチェックの時に演奏していたものなので、何も決めていないし、正に「演奏した」というものです。ただサウンドがとても良かったのでアルバムに収録しました。

■なるほど。それでは、他の曲についてはどうだったのですか?その音楽的成果は音を聴いて判断できているつもりですが、あの音楽をデザインするにあたって、具体的にどのような方法でミュージシャン同士の音響イメージのコンセンサスをとったのでしょうか。スコアで行なったとか、様式の指定を用いたとか、具体的に教えていただけると嬉しいです。

 他の短めの曲はバール・フィリップスが作曲したもので、演奏の際は彼がサウンドディレクションし、いくつかは譜面のものもありました。 それに対して、『オープンペーパーツリー』 はベルリンで行われた" FMP festival" で録音されたもので音楽は完全即興です。そのコンサートの後、FMPのジョスト・ゲーバースがFMPからこの録音を出してもいいか尋ねてきたのでOKしました。

■それでは、『Hyperion』はどうだったのでしょうか。

 『Hyperion』はマドリードの"Hurta Cordel festival" での録音で、これも即興です。これはバンドではなく特別なプロジェクトとして行われ、エレクリック/アコースティック/エレクトロ・アコースティックによるインプロビゼーションというようなものです。これも、本当に全くの即興です。このCDはほんのわずかしか出回っていません。フェスティバルが制作したものですが、わたしは持っていないんですよ。

 即興と作曲という意味では、『Soc』はたぶん私が作曲をした最後のアルバムではないかと思います。いろいろ作曲をしたものを集めてつくったわけですが、特にハーディーガーディーとの本当に良い音楽的バランスを見つけるために、かなり努力しました。それを一度だけステージで演奏しましたが、それ以降はやっていません。

■『Soc』の辺りからのあなたとLe Quan Ninh さんの作品は素晴しいものが続きますね。あなたにとって、Le Quan Ninh というパーカッショニストの存在はどのようなものでしょうか。

 私達は'85年のポーランドで上述した劇団とドゥニク・ラズロと共に演奏を始めました。レ・カン・ニンはパリからトゥールーズへ引っ越してきて、その後いろんな形で数多く一緒に演奏しました。また、10年近く前にその活動をやめてしまいましたが、"LA FLIBUSTE" という即興組織も一緒に作っています。今なお、いつも一緒に演奏しています。

■あなたのグループインプロヴィゼーション内での楽器のポジショニングは、CDでいえば『Hyperion』以降大きく変わったように思えます。『微躍』、『STROM』などは、近年のあなたのソロ演奏が持っているアイデンティティと不可分であるように思えます。この辺りで、あなたに何か変化があったのでしょうか?

 私自身は14歳の頃に始めて出した音とそう変わってはいないと思っています。音は私自身の内面を、また世界を駆け巡る乗り物のような感覚をいつも持っています。そして"音楽"よりは音そのものや、その振動に興味を持っています。また、自分の人生を通して異なる国、異なる文化、そして様々な世代の音楽やダンサー、詩人達と出会うためのものでありたいと思っています。ソプラノサックス奏者として、レイシーやパーカーといった旧世代の中ではいつも孤立感を覚えていました。しかし、ボセッティやレイニーといった若い世代は違います。彼ら若い世代は新しい事、それを経験する事に対してとてもオープンです。

■ソロ演奏の話しが出ました。'91に発表なさった『エレメンツ オブ サウンド』では、トラックごとにワンアイデアというか、コンセプトが明確にあったように感じます。それはソプラノサックスという楽器の可能性を試しているように聞こえます。しかし、それ以降に発表なさった『クレフの解剖学』 あるいは(これはデュオになりますが)『春の旅01』では、楽器の語法を相当に限定的に用いてますね。この有り様は近年の日本の現代音楽や即興音楽にも同様の傾向があるように思います。あなたのソロ演奏の中で、どのような変化が起こったのでしょうか。あるいはどのようなスタンスでソロ演奏を行なっているのでしょうか?

 『エレメンツ オブ サウンド』は作曲されたものです。そして何曲かは私が住んでいる山の中で一人きりで演奏しました。In Situはこの録音を発売することにしましたが、これらの曲をステージで演奏したことはありません。誰も演奏してくれと言ってきたこともないですし。

 『クレフの解剖学』は完全な即興で、全くエディットもしていなく、また録音した中からのいろいろなセクションを切り取ったものでもありません。真に即興録音といえます。'97と現在の自分にどれほどの違いがあるかはわかりませんが、私のソロ演奏を捉えたものとしてはこれが演奏に一番近い録音ではないかと思います。しかし、ソロは人生を通しても本当にごく稀なことです。どちらかといえば誰かと演奏することの方が好きですし、ソロを頼んでくるプロデューサーはほとんどいません。

■最後に。即興という手法に随分と拘っていらっしゃるように思えますが、あなたが即興という手法を選ぶ理由は何でしょうか。

 いや、即興は自分自身を表現するための手段ではありません。今現在というものへの関与であり、感応です。(No for me improvisation is not a way to express myself. This is my way of participation at the reality.)
私は音そのものを演奏します。そして私にとって音とは生きているものであり、ある意味私から独立した存在であるといえます。音に意思があるとでもいうような。また、私は空間における音の動き、うねりにとても意識を集中します。その響きにできるだけ注意深く耳を傾け、自分自身の内面、音の内面と外面、私が演奏している場所、共演者から受ける確かなエネルギー、そして聴衆からのエネルギーを感じます。

 私はいまだかつて形式といったものを意識したことはありません。私が音そのものに興味があるのであって、音楽にあまり興味がないというのもこれに通じます。音楽は一種のコミニュケーションであり言語であって、私はそういった意味では演奏しないのです。即興は音楽以上に「体験」であると思います。 聴くという「体験」です。なんの指針もなしに聴くという事。私たちが今ここに、この場所にいるという現在を自覚認識する「体験」。聴くということは私の音楽、そして私に耳を傾けるということではなく、ただ「聴く」ということ。「聴く」ということは能動的行為であり、また文化です。私は演奏することによる結果を期待するのではなく、演奏した音を通してこの「聴くという体験」を提示しようとしています。

 私はそれぞれ個人の自由を尊重し、また聴衆からの全ての意見を受け入れるよう努めています。そしてコンサートの後に彼らと話すこと、そして彼らの話を聞くことはなによりすばらしい。即興は矛盾と不安定にみちている人生の様なものです。その中でコントロールすることを試みてもいるかもしれませんが、実質はコントロールなどしてもいないのです。

(2005年2月~4月、Eメールによる筆談 谷川卓生訳)