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Musician's Voice vol.7: interview

2005/05
谷川卓生

『CD「浄夜」、そして・・』

谷川卓生はたえず変化してきた音楽家である。Exias-J参加当初のテクニカルなガットギターからエレクトリックギターへの傾倒、Muse Im-Proseでの禁欲的な美、そしてExias-J Electric Conception。初の自己名義アルバム「浄夜」ではここ数年の彼の思考と演奏の集大成とも言うべき充実した内容の音楽が聴ける。まずは、ここに至る足跡をこのインタビューでは辿っていきたい。そして、彼の音楽・即興演奏における思考と実践、今後の展望にも迫りたいと思う。

■まず、クラシックギターをアカデミックに学んでおられた谷川さんが、なぜ、どういうきっかけでExias-Jに関わるようになったのでしょうか。

 そもそもクラシックギターを学び始めた事には実はたいした動機がなく、目的はテクニックの拡充以外には無かったんです。もともとはエレクトリックギターを弾き、その頃はマハヴィシュヌ・オーケストラやマイルスのエレクトリックあたりにはまっていたので、すでに何がしかの即興演奏にしか興味はなく、アカデミックなところから即興へ移行したという感覚はほとんど無いんです。ある時期クラシックを見聞を広めるために勉強していたという感じです。
EXIAS-Jに参加したきっかけは時期的な偶然も大きいのですが、主宰の近藤秀秋さんがEXIAS-Jのエレクトリックな方向へ再アプローチしようとしていて、何回かそのライヴを一緒にやらせてもらったことでしょうか。そのうちにガットギターも聴きたいと他のメンバーからもさんざん言われまして、アコースティックな方向にも参加するようになり、全面的にEXIAS-Jと活動するようになりました。

■当時は、即興演奏に何を見、何を求めていたのですか。

 自分にとって楽器で音を出すという行為が作曲をするために始まったといってよく、自分の中にある音を出すために楽器をいじり、そして技術も習得してきました。その技術の向上とともに作曲のアイデアを練るために出している特に確信の無い音にゆらゆらとインスピレーションを与えられ気がつくと何十分も弾いている。そういう自分を認識しだした頃から、作曲よりむしろ次々と沸くイマジネーションの増幅とその正確な演奏技術にテーマが移っていきました。ただ楽曲という概念、一つの曲としての時間構成は常に意識されているので、気まぐれな即興になる事は少ないですね。

■今、谷川さんはExias-J Electric Conceptionをどのように評価していますか。

 グループ・インプロヴィゼーションなので当然いろんな感性を持った人が音を出しているわけですが、当時理解できなかった他のプレイヤーの音が今になって理解できるということはよくあります。また逆によかったと思っていた部分が嫌になってきたりもするわけですが(笑)。そういう意味でも多種雑多な感覚が非常に濃密に詰め込まれているサウンドだと思います。聴く人によって好き嫌いや感想が幾通りもあるような。ライヴでもほとんど決め事が無いにもかかわらず、楽曲としての時間軸を皆が把握する事ができ、その上で各プレイヤーの綱引きやバランス感覚が交錯する緊張感は聴き応えがあると思います。

■谷川さんは、ギター奏法にも常にいろんな工夫を凝らしてきました。ギターそのもののあり方が、谷川さんにとってどのように変化してきたのでしょうか。

 まず求める音が楽音だけにとどまらなくなってきたという事があります。パーカッシヴな音であったり、音響的な振動そのもののような音、またギターでは難しい強く圧縮し続けるような音など。他の楽器を羨ましく思った事も多々あります。ただ持論として限界があって初めて個性と技巧が極まると思っているので、求める音が容易に出そうな別の楽器を使う事は考えません。よく曲の途中でピアノ弾いたり、ドラム叩いたり、菅を吹いたりと楽器を変える人がいますが、見ていて「あんた、いったい何やりたいの?」って思ってしまいます。そうするなら全ての楽器を断片的に使うのではなく同時平行して演奏し、なおかつそれらが全てソロイストして卓越したものにしてくれと思います。話が逸れました(笑)。エフェクターに関しても、ヴォリュームペダルと歪系しか使いません。電気的な変調はギターである必要性をとどめるところまでですね。ほとんどは物理的に道具でやりますし、その方が遥かに説得力のある豊かな音が出ます。それら様々な音を求めたときに瞬時に楽音と平行して出そうと思っているので、最近ギターがごてごてにオプションだらけになってきました(笑)。

■最新作「浄夜」はとても充実したアルバムですね。人懐っこい音楽ではないけれども、なぜかとても惹きこまれます。収録曲をみなライヴ音源にしたのは、何か理由があるのでしょうか。

 先にも述べたように自分にとっては作曲と演奏の同時性が強いので、改めてプランを練ってスタジオで録音するという事はあまり肌に合わないんです。その時に作品クオリティーを満たすベストな集中力とパフォーマンスができるとは限りませんし。むしろ一年ぐらいの間でのライヴで、ぽつぽつと生まれることの方が多いし自然なんです。

■コントラバスの河崎純さんとの組曲のような冒頭の三曲は特に秀逸な演奏だと思います。河崎さんとのやりとりはどのようなものだったのでしょうか。

 事前にはまったく何も無かったです。確か河崎さんとデュオをしたのもこれが初めてだったと思います。ただ、それ以前に河崎さんの呼吸や演奏を何度も見て聴いて、またそれに対応できる技術を身につけるのに十分時間はとりました。

■即興演奏を「自分が次第に所在を失い、主観と客観の境界が限りなく曖昧になった世界」 に入り込む手段として位置づけていらっしゃいますが、それは忘我の境地に近いのでしょうか。即興演奏を理性によってコントロールすることとのバランスをどのようにお考えですか。

 確かに忘我といっていいかもしれませんが、自分の理性を越えてコントロール不能による爆発的な表現に向かうのとはかなり違います。クラシックギターの演奏をする時もそうですが、ギターを演奏している自分よりも聴衆としてその音を聴いている自分、または指揮者として演奏している自分をコントロールしている別の自分を感じる事の方が多い。そしてその狭間で高揚してくるうちに、演奏している自分は誰かに弾かされていると思えるぐらい音が紡ぎ出されていくし、それを楽しみ批評している自分も存在している状態になっていくのです。そこまでいくと果たしてそれがコントロールされているかどうかは微妙ですが。

■今後の活動はどのように展開されていくのでしょうか。何か進行中のプロジェクトや演奏予定、あるいは今興味があることやコンセプトなどを聞かせてください。

 演奏する自分にとっても毎回自分自身の作り出す予期せぬ音に感動できる、またリアルタイムに変化していく自分の感性を表現していくには結果的に即興という手段はこれからも中心となっていくでしょう。ただ、最近特に自己表現としての即興と同時に、観客にイマジネーションの喚起であったり、何がしかの作用をパフォーマンスとして与えるための多少の作為も含めて努力の必要性を感じています。音楽や舞踏、ヴィジュアルアート等、いろんな分野の即興において、それぞれの観客がほぼ同様に「解らない、難しい。」と口にします。それに対して演じる側は「考えるのではなく感じてください。」と言うことが多い。しかし感じるということはそもそも自然に蜂起される感覚で、感じてくださいというのはおかしい。自然に何も感じさせることができなかったわけですから。また即興といっても個人個人での解釈とそれに対する意識は千差万別であるし、音楽だけではなくありとあらゆる創作活動において行われています。自分はイマジネーションをうける刺激を聴覚から受ける事が一番強いですが、人によっては視覚から、または振動からの体感と様々だと思うんです。なんとなくいままでいろいろな分野の即興、それを見る観客を皆一様に一つの感覚器官から受ける情報摂取量を同一と無意識に仮定し、理解できないのはその人の想像力や経験の有無によるものと見なしていたところが少なからずあったなと反省しています。優れたパフォーマンスには観客を”魅せる”戸口がたくさんあり、間口は広く奥が深い。明快と複雑、秩序と無秩序、視覚、聴覚、触覚などそれらを見せるにあたって、説明とまでいかないまでも観客をいざなう構成と仕掛けにもう少し気を配っていきたいと思います。もちろん構成云々ではない理解を超えた圧倒的なパフォーマンスがあるのも確かですが。
 今、特に興味を持っているのが神楽。いわゆる昨今の客寄せ神楽ではなく、書籍から借りた説明になりますが、"その本義に神霊を招き迎え、舞手の手振りは神態として神の憑依した姿となり、舞人自身が忘我の境地で神の憑代となって歌舞することを持つ"本来の神楽です。自由、様式、伝統、技巧、忘我をもともと持ち、さらに前衛、個性といった要素との親和性をその中に見ることができます。その神楽をもとに企画しているのが新神楽シリーズで、企画第一弾は等身大の人形と自身の身体を使って独特のパフォーマンスをする岡本芳一さん(百鬼どんどろ主宰)をフィーチャーします。神楽は長い歴史の中で、地域特性や外来文化などの影響を受けて様々に発展してきましたが、なるだけ後世に付加された飾りを取り払い、神楽の儀式的要素と意味を踏まえたうえで、アーティストが既成概念の殻から抜けだし忘我の境地で歌舞する集中法として再構成しています。2005年は8月27日に横浜BankArt1924での公演、11月9日から14日まで江古田のストアハウスで開催されるフィジカルシアターフェスティバルで期間中に2公演やります。

(2010年5月 インタビュアー:神田晋一郎)