1980年3月の急性気管支炎と肺炎、翌1981年の食道静脈瘤破裂と二度の重い病に倒れた高柳昌行が、奇跡の復活直後に新たに挑んだのが、ギターソロによるモダンジャズの演奏、録音であった。本作はその活動の集大成となる横浜エアジンでのライブの模様を収録したアルバムである。
ギターソロによるアルバム制作は、伝説のジャズ・レーベル「スリー・ブラインド・マイス」のプロデューサー藤井武から、二度目の退院から約半年後の1981年6月に示されたリクエストだ。そのリクエストに高柳は1982年8月録音の『LONELY WOMAN』で応えた。本作のライナーノーツの中で述べられているように、高柳は「二年間の闘病生活のなかで自分のなかの考えも変わって来ているし、今、グループのアルバムを作るより、考え方をまとめる為にもソロという形がふさわしいだろう」と考え、病後の主要な活動の第一歩としてギターソロに取り組んだわけだ。
従来のジャズギターのソロ演奏とはひと味異なる、和音による演奏を極限まで排しシングルトーン中心で構成された『LONELY WOMAN』の録音後、ギターソロのライブは名古屋ヤマハおよび新宿PIT INNでのライブで少しずつ形を変えて行き(新宿PIT INNでのライブは『lonely woman live』(JINYA DISC B-08)としてリリースされた)、本作に収録された横浜エアジンでの演奏―すなわち三回めのライブで、高柳の中では“打ち止め”となった。高柳の中では、自分の考えるギターソロ演奏の目指すべき地平が見えたのであろうか。
本作は、その意味では『Lonely Woman』『lonely woman live』と聴き比べることによって1982年後半という短い期間の中で高柳にどのような変化があったかという点で興味深いものであり、同時に、『Lonely Woman』の録音でギターソロ演奏について今まで以上に深く考え始めた高柳が、その三年後から繰り広げられる、“ギターソロ”としては形を大きく異にするアクション・ダイレクトにどのように向かって行ったのかを考える道程のひとつとしても貴重な音源といえるかもしれない。 |