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Musician's Voice vol.11: interview

2013/07/26
住友郁治

『このリサイタルが最後と思いながら…』

住友郁治(すみともふみはる):1969年生まれ、ピアニスト。国立音楽大学大学院首席修了。これまでに池澤幹男、武井恵美子、ダン・タイソン、故アンリエット・ピュイグ=ロジェに師事。1991年、NHK-FMにてデビュー。同年、矢田部賞受賞。92年イタリアでの第5回国際リストコンクールに入選、第11回朝日新聞社主催新人コンクールで大賞を受賞。93年、クロイツァー賞を受賞、チェコの第2回ヤングプラハ国際音楽祭に日本代表ピアニストとして招かれる。00年、第69回日本音楽コンクールでは声楽部門の共演者として木下賞を受賞。クラシックのほか、舞台や映画の音楽も手掛ける。

■ピアノを始めたきっかけを教えてください。

 僕らの子どもの頃というのは、ヤマハ音楽教室が全盛の頃で、結構な数の子どもがヤマハに通ってましたね。僕も歌が大好きで、幼稚園の頃にヤマハに通い出したのが音楽を始めるきっかけでした。その時の先生と相性が良くて、いまだに連絡を取っているぐらいなんですよ。どちらかというとピアノというよりも、歌ったり聴いたりすることの方が好きでした。だから、最初からピアノを専攻したというわけではなくて、最初は皆でやる音楽教室みたいな感じのコース。ピアノの個人レッスンというのを始めたのは何年も後になってからです。

■では、音楽一家に生まれて、というのではなかったのですね。

 ええ、そういうのではなかったですね。でも、親としてはやらせたかったというのはあったんじゃないでしょうか。自分たちがしたかった事だけれど、親たちの時代というのはそういう事のできる時代ではなかったしね。それが、自分の子どもたちの頃になったら、それが出来る時代になって、また皆が子供にそういうのをやらせる風潮というものも出来てきていましたからね。僕自身は、ドーナツ盤のレコードを、ドーナツ盤しか乗らないようなプレイヤーにレコードをとっかえひっかえ乗せて、聴いたり歌ったりしていました。幼少期はそんな感じでしたね。

■ドーナツ盤で、どういう音楽を聴いていたのでしょうか。クラシックですか?

 いや、子供ですからね、童謡が圧倒的に多かったです。クラシックはその中に少し入っているぐらいだったかな。そんな感じで音楽が好きなものだから、ずっと続いてましたね。小さい頃に作曲もしてみて、ヤマハの教室で自分の曲が採りあげられて、それを皆で演奏して、ステージに出たりとか。僕は真ん中でソロを歌って、間奏はピアニカで演奏したり。他の人はエレクトーンとかドラムとかで伴奏してくれて。それも、幼稚園の頃じゃなかったかな。歌が好きだったんですよ。

■では、ピアニストになろうとはいつ思ったのでしょうか。

 ピアノに一本化したのは、本当に後の事なんですよ。音楽の高校に行くときも、ピアニストになろうと思って入ったわけではなくて。その頃は、指揮者になりたかった。でも、当時は指揮科といったら芸大(の付属高校)しかなくて、受験まで時間もないし、親も許可をしてくれなくて。でも、国立(音大の付属高校)だったら親戚に卒業生がいて、親も僕も折れる形で、「受験するだけ受験してみたら」という形で国立を受けたんです。それで、入るならピアノ科だな、ということで。将来は芸大の指揮科に入ろうと思っていて、指揮をするためにはまずはピアノかな、という気持ちでした。
 国立に入って、ピアノを教えてくれたのが武井恵美子先生だったんですが、武井先生がすごくきちんとピアノを教えてくれたんですよ。そこからですね、ピアノが面白いと思うようになったのは。そこで、芸大の指揮科を目指すのではなくて、国立音大に進んでピアノをやってみようと思いました。ピアノをやっていれば、暫くすれば指揮をする機会もあるだろうし、と思いまして。そんな状況だから、高校では、周りから凄く遅れてましたね。周りはバリバリ弾けるのに、僕はツェルニーの40番とかやっていたり。バッハなんかも周りはすごい弾いているのに、僕はまだインベンションがまだ残っているような状態。そんな状態なものだから、高校に入った頃には、ピアニストになろうなんて気持ちは全くなかったです。だから、突き指しそうなバレーボールやバスケットボールなんてもってのほか、体育の時間は見学、毎日ピアノの練習を12時間するとか、そういったピアニストがやりそうな時間の過ごし方を、僕はしていないんですよ。

■それは大変に珍しいですね。クラシックの世界だと、ヴァイオリニストやピアニストって、4歳からではもう遅いなんて言われてますよね。

 そうそう、遅れているから弾けなくて、弾けないから練習するとイライラしてね、そうなると練習したくないしね。まあそれは今でもそうだけど(笑)。いや、やる時はとことんやりますよ。でもまあ逆に言うと、仕事でピアノを弾くようになってから、それが功を奏している部分もあります。もし毎日すごくたくさん弾かなければいけなくて、それにずっと付き合ってないと人前で弾けないという事であったら、仕事にならないですよね。だから、ある程度の割り切りというのは必要なわけで。

■なるほど。音大に入ってからはどうだったのですか?

 あまり変わらなかったですよ。音大に入っても、ピアノを弾いている事よりも、他の事をしている時間の方が長かったです。例えば、CDを聴くにしても、ピアノのものを聴くよりも、オーケストラのものを聴いている時間の方が圧倒的に長かったですし。ピアノ曲のCDをじっくり聴いてどうこうというのは、今はしますけど、学生の頃は殆どしなかったんじゃないかなあ。演奏会に行くにしても、ピアノよりもオーケストラものの方が楽しかったし。サウンドに関しては、ピアノという限定的なものよりも、もっと彩のあるものが好きだったんでしょうね。それが変ったのは、ある時に、ピアノというのは実は色々な色合いが出せて、表情の豊かな楽器なんだという事が分かった時だと思います。今、ピアノの面白さは何かといえば、色々な音色が出せて、色々な肌触りのものが出るという点だと思っています。それが、他の楽器のような限定的なものじゃなくて。音色の変化、和音、こういったものは、ピアニストによって全く違う音がするんだという事が分かってきて、またそれを自分で創造する楽しさが分かってきて、ピアノにしかない魅力というものを感じましたね。でも、そういうところは高校ぐらいの時点だとまだ分からなかった。

■お話を聞いていると、ピアノにそれほど入れ込んだという風でもなかったようですが、それにしては色々な賞を獲得していますよね。

 たまたまだと思いますよ(笑)。でも、ピアノ一筋の人とは、見ているところが違ったのかも知れません。それが、たまたま評価いただけたんじゃないでしょうかね。

■どのようなところに、視点の違いというものを感じますか。

 ピアノを弾いていて、「ここは何の楽器なんだろう」とかね、オーケストレーションを考えていましたね。今ではそれがもっと抽象的になってきて、オーケストラの具体的な楽器だけではなくなってきて、匂いとか風とかね、そういうものになってきています。このあたりは言葉では説明しにくい。今回のリサイタル(*2013年4月に、東京文化会館で行われたリサイタル。プログラムは3大ピアノソナタを含め、全てベートーヴェンの楽曲で占められた。)でとりあげたベートーヴェンの音楽なんて、まさにオーケストレーションですよ。ピアノ曲でも、ベートーヴェン自身はオーケストラを前提に書いていますよね、きっと。でも、それはオーケストラの代用に留まるものではなくて、ピアノにしかできない所まで踏み込んでいる。その部分は、何かの楽器の代弁とかでは、もうなくって。この辺りは、言葉では伝えにくいです。ベートーヴェンいうのは、聴衆との関係というものを大事にして、そこで音楽というものが初めて完成すると考えていた人だと思うんですよ。相手にチンプンカンプンなことを言っていたのでは成り立たない、でも相手が分かる事だけを言っていたら発展も発達もないわけです。この駆け引きを繰り返しながら、自分も聴衆も成長しようとしていた。聴衆も含めて音楽を考えていった最初の人だと思います。

■今回のリサイタルでベートーヴェンのピアノソナタを選んだ理由は、その辺りでしょうか。

 ベートーヴェンのそうした態度は、彼の評価にも繋がっていると思いますし、そういう時代に生きた人でもあります。今現在の我々がどうかというと…もちろん、聴衆を理解しようと心がけて、分かり易い形で提示する事は大事なんだけれども、その先にあるもの、その上にある何かを提供できないだろうか、こういう気持ちがありました。今、分かり易いものというのが溢れていて、クラシックもだんだんイージーリスニングみたいになっていく中で、音楽家として、何を相手に提供することが出来るだろうかと。そしてその結果として、音楽が発達/発展していけないだろうかと。これを、リサイタルの中で感じたかった。ベートーヴェンのツボとでもいうべきもの(*ベートーヴェンの3大ピアノ・ソナタ)をプログラムに持ってきたのは、聴衆にしてみれば皆この曲を知っているわけですから、最初からその先にあるものに僕は集中できる。今のクラシックって、本当にイージーリスニングに聞こえてしまう。分かり易い曲や演奏ばかりが売れるでしょ。でも、そういうものばかりになってしまうと、いい演奏って本当にあるのかと。「本気でやっているのかなあ」という感じを受けますよね。例えば、「悲愴」の冒頭のグラーヴェ(*演奏記号のひとつ”Grave”。「重々しく」という指示)の部分とかね、今はどの演奏を聴いてもグラーヴェどころではなくて軽いですよね。あの冒頭の、当時にピアノでなければ出来なかった表現を、しかも目いっぱいやっている。でもその目いっぱい感というのが、今の演奏は「弾けばいいだろう」みたいに軽く通り過ぎてしまって。

■この間のリサイタルの「悲愴」の出だしは、深いというか、大変に重々しく始められていましたね。

 そうそう、今の時代の演奏って、あのグラーヴェの演奏の仕方にもあらわれているように、ただ弾くだけで通り過ぎてしまって、ドキドキしないんですよね。あのグラーヴェの中には、後に発展していくテーマとか、音楽がスリリングに展開していくために重要なものがたくさん入っている。そういう全体を考えると、ベートーヴェンがあそこをグラーヴェにした必然が見えてきます。ベートーヴェン本人は、作品を表に出すときには、死ぬ気で出してますよ。そのベートーヴェンが持っていた命がけの大変にスリリングな部分、しかし現代のイージーリスニングなクラシックが失った部分、これを表現したかった。巧いなとか、速いなとか、指が回るなとかではなくて、深いな、いいな、というものを。リサイタルって、私も提示するんですけど、私も聴衆の方から貰うんですよ。それで、また音楽が変わっていくという。リサイタルではそういうものを感じたかったし、感じていました。

■リサイタルといえば、いつもリサイタルのMCで「これが最後と思いながら」みたいなことをおっしゃいますよね。

 ああ(笑)。でも、本当にそういう気持ちがあるよね。リサイタルのような機会が当たり前のようにあるわけではないし、またああいう機会が持てるとも限らない。その瞬間というのは、今しかないですよね。もし仮に、同じ聴衆が同じ場所に集まったとしても、やっぱりそれを出来るのは今しかないんですよ。今、自分が思った考えも感動というのは、今しかない。「これを今出したら損する」とか、「手を壊しそうだから今回は抑えておこう」とか、そういう風には考えているようではいけない。これが終わったらもう何もかも終わりにする、それぐらいの気構えで挑む、みたいな感じです。だから、本番になってしまえば、「あ、もう手が危ないな」と感じても、行くべき時は行ってしまう。コストパフォーマンスとか、配分を考えて物事をやっていないというか、その瞬間にすべてを出し切るという感じです。だから、自分の行動にしても気持ちにしても、無駄な部分も多いわけです。でもその無駄な事をやらないと。

■プロ演奏家として、今後の目標などがありましたら。

 たまたま今はピアニストとしてやらせていただいていますけど、まだこれから変化があってもいいんじゃないかと思っています。それこそ、プロのピアニストでなくなったとしてもいいんじゃないかと。そんな思いがあるから、合唱の指導をしたり、色々としてるんだと思うのですけど。
音とか音楽というのは麻薬みたいなものですからね、きりがないわけですよ。同じ曲ですら、終わりはないんですよ。それがまた、音楽のたまらない魅力でもありますよね。音楽って、自分だけじゃなくて、聴いてくださった方と何かを共有して、それでまた音楽が変わっていく。このキャッチボールを繰り返すたびに、僕もどんどん変わっていきますからね。

(2013年7月26日 東京にて)

EXAC011CD『リサイタル2 -ベートーヴェン:悲愴、月光、熱情 etc. –』
住友郁治 SUMITOMO Fumiharu (pf)

ピアノソナタ 第8番 ハ短調 作品13 「悲愴」
ピアノソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品27-2 「月光」
ピアノソナタ 第23番 ヘ短調 作品57 「熱情」
エリーゼのために

2013年 コンサート録音