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Musician's Voice vol.20: interview

2016/10/17
照内央晴 & 松本ちはや

「芸術家として生きる決心をした以上、現代音楽を、最先端の音をやらなくては」

照内央晴(てるうちひさはる):1972年、東京生まれ。即興ピアノ演奏家。4歳からピアノを始める。クラシックと現代音楽浸けの10代、フリーインプロビゼーション、現代ジャズなどの洗礼を受けた20代を経て、自身も即興演奏の世界へ。これまでに、豊住芳三郎、田村夏樹、Terry Day、Yukari、吉田隆一、Maresukeら、多くのインプロバイザーと共演。またイベント、ライブの企画多数。近年はダンサー等、身体表現とのコラボレーションの機会も増えている。

松本ちはや(まつもとちはや):千葉県出身。10歳から打楽器を始める。市立習志野高校吹奏楽部在籍時、クラシックとマーチングで全国大会金賞受賞。洗足学園音楽大学では、打楽器における現代音楽からジャズ、ワールドミュージック、そして即興演奏まで幅広く学ぶ。卒業後フリーの打楽器奏者として、ライブやコンサートに加え、録音、指導、学校公演、チンドン屋、テレビレポーターなどジャンルを問わず活躍。2016年1月には初のソロ公演「リデル」を成功させ、打楽器の音を操り空間を彩るアーティストとしても一歩を踏み出した。

■照内央晴・松本ちはやデュオは、どうやって始まったのですか。

照内)インターネットで推薦されているライブがあって、それに興味を持ってたまたま観に行って見ようかと。ちょっとジャズテイストの入ったポップス。そこでパーカッションを叩いていたのがちはやさんで、それが出会いの最初でした。僕は、グッドマンなどのライブハウスで活動はしていたものの、それ以外の場所にはまだ飛び出していなくて、これから色々な所に活動を広げて演っていこうと思ってはいたのだけれど、誰とやるかも含め、まだはっきりとしていなくて、共演者を探していたという所も何とはなしにあったかと思います。田村夏樹さんと初めて演奏したのが2010 年でしたから、ちはやさんとの出会いは2009 年頃の事になります。

■東京だと、グッドマンは重要な場所のひとつですよね。千野秀一さんも神田晋一郎さんも望月治孝さんもみな出演していた。昔だと阿部薫さんとか富樫雅彦さんとか。

松本)へえ、そうなんですか、知らなかった(笑)。行った事ないです。グッドマンって、高円寺の前はどこにあったんですか?

照内)荻窪。荻窪時代のグッドマンは、こちらの即興系の音楽家はみなさん出演されていましたよね、maresuke さんも中溝俊哉さんも。話がそれますけど、僕が初めて豊住芳三郎さんに「一緒に演奏してください」と申し込んだのは、グッドマンでなんですよ。豊住さんも、最初は断りづらくて「うん」って言っちゃったんじゃないかと思いますよ(笑)。あの時に頑張って申し込んで良かったというのがすごくあります。2010 年ごろは、田村夏樹さんにmaresuke さん、ちはやさん、僕の4人での演奏を定期的に行っていました。今はそれぞれ方向性が変わってきていて、最近しばらく間が空いていますが。最初の頃のちはやさんとの共演は、デュオよりも少し大きめのアンサンブルでの共演が多かったです

松本)TIO(Tokyo Improvisers Orchestra)も、大所帯でしたよね。

照内)TIO というのは、maresuke さんと、ジャズ系のフルートのMiya さんが主宰している、コンダクトつきの即興オーケストラで、2012 年ごろはふたりとも参加していました。当時の僕は、コンダクトつきのインプロヴィゼーションには気分的についていけてなくて、でもいい勉強だと思って参加していました。でも今年(2016 年)の夏、兵庫の山奥で、まったく違う流派のスペイン人(*アルナウ・ミラ・ベンセニ)が来てコンダクト・インプロのワークショップをやるというので行って見たら、すごく面白かったですよ。TIO での経験が生きていたんでしょうね、期間が空いて演奏してみたら、楽しんで出来るようになっていた(笑)。

■大所帯の即興の場合は、崩れるとどうにもならなくなる時がありますからね。そうしたカルテット以上の編成での共演から、デュオにシフトしていったきっかけは何だったのですか。

松本)単発ではあったのですが、このデュオを詰めていったのはこの2 年ぐらい(2015 年以降)。淘汰されていった結果、デュオになった感じがします。

照内)ペンギンハウス(*東京の高円寺にあるライブハウス)に頼まれて、ちはやさんとやったのが初めてのデュオだったかな?あとは、なってるハウスが僕たちの事を面白がり、可愛がってくれたのが大きかったです。
 デュオでのレコーディングは元々やりたいと思っていて、2015 年の末ぐらいから、ちはやさんに話していたんです。でも、あの公園通りクラシックスでの公開レコーディングは、ニューヨーク在住のピアニストとのデュオの予定だったものが急遽キャンセルとなって、それならばこの機会に録音しよう、と決断したので、予定がかなり早まった感じです。

松本)照内さんから電話をいただいたのが録音の2 週間ぐらい前で、本当に直前でしたね。

■それぞれ、クラシックなり、色々と学んできた背景をお持ちですよね。その中で、なぜ即興音楽なのでしょうか。

照内)僕自身は、自分が出せる表現。自分の感情とか、自分が生きている事とか、そういうものをストレートに出せる、ダイレクトに表出できるというのが、いちばん大きいですね。抽象的になってしまうかもしれないけれど、生きている中で色々と思う事や感じる事ってあるじゃないですか。それを表現として転化して、一番身近な形で出せるという感じがあるんでしょうね。

松本)それは私もかなりあって、ポップスなりのお仕事で曲をやる時に、今の自分は悲しい気分じゃないけどそれを表現しなければならない、そういう時に違和感を感じてしまって。でもインプロの世界だと、常に自分に正直でいられるし、その時の自分の素直な気持ちなので、お客様にもそれが一番伝わるような気がして。むしろ言葉よりもインプロの方が伝わるとすら思っているところがあります。
 あと、私は、音の世界というものを確立させたいと思っています。それは、いま生きているこの世界だけが全てではないという事で、なんていうのかな…音の世界にいれば、そこで救われるという事もあるし、そういうものをもう少し広げたい、多くの人に音の世界があるということを知って欲しいというか。
 元々は、音大の授業で音楽療法のセッションのビデオを見て、即興というものを知りました。セラピストの人は、怒っていることを言葉でうまく伝えられない子供に対して、音楽でその感情をなだめたりするのですが、そんな風にコミュニケーションできる音の世界って本当に素晴らしいと思ったんです。そこで起きていた音のコミュニケーションには一切の障害がない。今の日本では音楽療法のセッションを行うのはまだまだ難しそうだなと思ったので、それならばまず自分が即興音楽のスペシャリストになりたいと思いました。音楽療法のセッションの前に、まず即興音楽で人とコミュニケーションできるようにならないと、と。だから、音楽ではあるんですけれど、コミュニケーションと捉えている所も私の中にはあって。豊住さんもそうなんですけど、演奏を聴くと何となく生きていた感じが見えるというか。自分の倍以上生きている人が、「ああ、こうやって生きてきたんだ」、みたいな。口でいうより音でやる方が感じる事が出来るというか、分かりやすいというか。音の世界で嘘をつける人はあまりいないと感じます。
 大学では即興の授業やコブラの授業があり、そこで即興の手法や技術を学ぶことが出来ました。私にとって、とても大切な授業でした。

照内)即興の授業も積極的に受けていたみたいだよね。

松本)はい、かなり(笑)。平野さんの授業とか…

■パリ国立高等音楽院の即興演奏科で学んだ平野公崇さんですよね。

松本)そうそう、洗足で日本初の即興演奏の授業を始めて、東京藝大でも教鞭をとっている平野さんです。授業として即興があったのでかなり入りやすかったです。それでもついてこれない生徒というのはたくさんいました。開かれた授業だから、最初は履修者が何百人といたんです。でも、1年を通して最後まで残っていたのは20 人もいなくて。授業では、計画的にどういうふうに対峙するとか、見方を変えるとか、干渉しあう・しあわない、距離感、手を使わないで演奏する…かなりいろいろな事をやりましたね。

■このデュオでは、デザインやコンセプトなど、何らかの打ち合わせや目的があったりするのですか。

照内)僕はあまり考えてないです。ちはやさんは、あんまり考えをすり合わせなくてもかなり合う人という感覚があります。

松本)私も考えてないですね。考えてないけれど、同じ絵を見ている感じはします。これまで色々な方と演奏させていただいて来て、照内さんの和音が一番イマジネーションが湧き起こるというか、湧き起こさせられます。根本的な所でいえば、現代音楽が好きという所で繋がっているのかも知れません。
 私が即興をやっているのって、ひとつには現代音楽をやらないといけないという思いが心のどこかにあるというか。私は曲を書けるタイプではないけれど、音楽をやっている芸術家として生きる決心をした以上、現代音楽を、最先端の音をやらなくては、と何となくどこかで思っているところがあるのです。ジャズを演奏するとかクラシックを演奏するとか、そういった古い音楽をやるのではなく…そういう音楽は私も照内さんも一応学んではきたので、その学んだうえに今自分にできる最先端を研究して演奏して。
 そうなると、即興音楽でどういう音の世界を見せられるのかとか、どういうコミュニケーション方法があるのかとか…即興をずっとやっていると、慣れ合いの決まりきった感じで、こういう風にやればうまくいくとか、こういうふうにすればお客さんは喜んでくれるとか、そういうのは出てくるんですけど、そういう所ではなく、最先端の表現を目指したい。
  日本の有名即興音楽家のライブを見た時に結構大きくショックを受けた事があります。これはインプロではない、これをインプロと称して演奏して欲しくない。こういうものをインプロと称して演奏しているからこそ、今、こういう風になってしまったんだと強く思ってしまった。その辺り、インプロが評価されにくい今の現状を少しでも照内さんと崩していけるといいなあと。

照内)なんか大きな要望が来ちゃったな(笑)

松本)だって自分たちの方がちゃんとインプロしてると思う!悔しいじゃないですか、馴れ合いの決まりきった流れがもうプレイヤー同士見えてしまっているのに、それをインプロと呼んで、しかもお客さんも沢山…多くの方にこれがインプロだと思われるかもしれないと思うとなんだか凄く悲しい。でもまあ、もしかしたらお仕事として、割り切ってやってらっしゃるのかもしれないですね。でもなあ…やっぱりそれでも悔しいし悲しいなあ。

■なるほど。照内さんの即興観はいかがでしょうか。

照内)幼稚園の頃、親が「央晴は友達が出来ないから」と、ヤマハのオルガン教室に行かせてくれたのが、音楽と触れ合うきっかけだったんですけど、練習は嫌だけれど弾くのは嫌じゃないという感じで、勝手にイメージしながら弾いてたりしてたんですよ。その後に色々とやって、そんな事は忘れていたんですけれど、即興をやるようになって、「最初に戻ったんだな」って気がしましたね、ある時に。イメージしながら弾くっていう。
その後、音楽的な色々な苦悩もあったし、 10 代はけっこう精神的にきつくて、かなりヘビーな状態だったんですよ。その中で…こういう言い方がいいのか分からないけれど、音楽が自分の友達だったというか、音楽が自分を救ってくれたところがあったんです。10 代で三善先生(*作曲家の三善晃)とかノーノを聴いちゃうっていうのは(*インタビュー直前のトラックダウン作業中に、ノーノ作曲・ケーゲル指揮の「力と光の波のように」についての会話があった)、ああいう音の世界に…うまく言えないんですけど、同調する事で癒されるってあるじゃないですか。心の混沌とか、そういう所を、現代音楽のある種のものっていうのが、ある種自分を助けてくれたっていうのがあるんですよね。ヘビーな状態から抜け出れたのも、音楽というのが自分の支えにあったというのもあるし…三善先生の音楽にしても、苦悩に満ちてもいるけども素晴らしい音の世界で、その魔力に取り憑かれた、救われたんでしょうね。それが、根っこにずっとあると思います。
でも、そこで一生懸命練習して、三善先生の曲を弾ける風に努力するというタイプではなかったので(笑)。これまでに何人かのピアノ教師につき、三善先生の曲を見事に演奏なさっていた小賀野久美さんに最初はずいぶん無理を言って指導いただいたりもしたのですが、努力をして緻密にやって、自分を追い詰めながらやるっていうのは、出来なかったですね。そういう努力家ではない人にできる道はないのか、ずっと分からなかったですよ。だけど、即興演奏をしながら、丁度松本さんと出会った頃は親の介護があってきつかったというのもあるんですけど、やらなきゃ、という思いが次第に強くなっていて。
いずれは自身の過去の辛い経験とかが、もしかしたら聴いてくれる人にとってもまた別の要素として
理解していただけたらいいかも知れないという事はあるかもしれないけど、今は、過去がどうとかいうよりも、今ここでの自身の音が、音楽で響く、響いて欲しいというのはあるんです。自分が三善先生や、色んな素晴らしい音楽に触れて、苦しい思いを癒してもらってきたように、なにか自分が表出する事で感応があって、聴いてくれる人になにか少しでも感じてもらえるものがあったらとても嬉しいし。ただ、表出からの感応という影響に対して、演奏する側がどうこう予め意図するような内容の音楽ではないと思っているので、こう感じてくれというのではなく、自分が出来る事を自身に誠実に、ただ一生懸命するだけというか。

松本)初めて聴く話でした。でも、なんとなく友達はいないんだろうな、とは思ってました(笑)。

照内)うわあ…(苦笑)。でもいろいろな音楽家の音を聴いてきて思うのは、苦しみの経験とか、そういう体験のある人の音の方が切実。そうとしか言いようがないんだけども、ちはやさんの言葉でいえば、嘘がないという事になるんだろうけど、音が切実としか…そういう人の出す音って、その人にとって、本当に大事にしている音って事ですよね。即興の場合、特にそういう切実な音を出す人の方が僕はいいなあと思うし、そういう人と演りたいし、切実で伝わる音をなにより聴いて貰いたい。

松本)私は、そういうところが、美しいと思っています。人間らしいというか、偽りがないから美しいと思うのかな。モーツアルトやバッハの曲を弾く場合、歴史的な背景とか、作曲家の人生を勉強して、「モーツアルトはきっとこういう気持ちだったんだね」みたいな所から、楽器の表現ってスタートするわけじゃないですか。でも、現代音楽の作曲家たちは、まだそういう所までは考えられていない感じを受けます。その辺りは、文学のほうが多くの人々に考えられていると思いません?現代音楽は、まだ「現代の音楽をやります」という表面的な所が大きくて。でも照内さんは、そういう現代のコンテキストとなっているものを感じながら弾いている、という印象を強く受けるんですよね。苦しみとかの部分にしても。

照内)あの前衛世代の音楽の影響は強くて、また自分の体験ともリンクしてなんですけど、苦悩の部分に焦点を当てた感じの演奏が自分は強かったですよ。ただ、近年、3.11もあって、その後何年か経過しているうちに、苦しみの部分ばかり掘り下げるのは違うんじゃないか、と変化してきている。この厳しい苦しい世界を掘り下げていくというだけよりは、より明るい未来の音みたいなものを求めて生きたい、提示していきたい、と思っています。

(2016 年10 月17 日 CD『哀しみさえも星となりて』トラックダウン作業後のインタビュー 聴き手:近藤秀秋)

EXJP021『照内央晴・松本ちはや / 哀しみさえも星となりて』
 
(Bishop Records, EXJP021)

1. Improvisation Ⅰ(23:40)
2. Improvisation Ⅱ(12:02)
3. Improvisation Ⅲ(23:44)